親友と縁を切ることになった話【実話】

スポンサーリンク

人間関係ってめんどいよね。

もともと人付き合いが苦手なJoy子。

学生時代から狭く深くみたいな人間関係だったんだけど、それは30代になった今でも変わってなくて。

年に数回、会いたいと思うともだちに会って、他愛もない話をしながらお酒でも飲めればハッピーじゃん?みたいなそんな感じ。

 

そんなJoy子にも高校時代に唯一 ”親友” と呼べるともだちがひとりだけ居てね。

 

”友達” と呼び合う子は何人かいたけど、その子のことだけは唯一 ”親友” といっていた子で、向こうもJoy子のことを ”親友” といってくれてたの。

高校生で初めて ”親友” と呼べるともだちができたことがすごく嬉しくて、いつも安心できる存在だった。

高校卒業後も頻繁に会って、なんでも話せて、お互い何度も救われて、気が合いすぎるくらいの仲良しで。

これまで考え方とか価値観に違いを感じることも多々あったんだけど ”そういう考えもあるよね~” なんてお互いを高め合いながら成長したり、ちょっとこういうところが嫌だな~と思ってもそんなところも含めて ”この子だから” と思ってた。

 

でも、ある出来事がきっかけで少しずつ溜まっていたモヤモヤがとうとう限界にきてしまう。

 

どちらかといえばJoy子が縁を切った側になるのかな。

もともと友達が多いほうではなかったJoy子だけど、それでも ”親友” と縁を切ったってことは相当な覚悟だったんだと思う。

スポンサーリンク

今から一年くらい前の実話になるけど、Joy子が親友と縁を切ったときの話を残しておこうと思う。

親友と縁を切って後悔しているか

まず、長年の友人、それも ”親友” と呼んでいた人と縁を切って「スッキリしたか?」と聞かれたら、正直いまでもモヤモヤしている。

だけど、自分の想いを伝えた上で、相手の想いも聞いた上で、それでもお互いに納得できず結果的に縁を切るという形になっているからまったく後悔はしていない。

 

”これだけ話し合っても分かり合うことはできなかったね。”

”じゃあお互いもう無理だね。”

 

そんな感じで一切連絡をとらなくなっちゃったんだけど、もしそのとき、

自分の想いを伝えることをせず、相手の想いも聞かないままでいきなり縁を切ってしまっていたら今ごろ後悔していたと思う。

ちゃんと自分の考えを伝えて、相手の考えも聞いた上で、それでも分かり合えなかったならば仕方ない。

 

だからまずはお互いの想い・考えをちゃんと伝えてそして聞くことが、縁を切る上では大前提だと思ってる。

 

そのきっかけができるまでは相手に対してふつふつと溜まる疑問や不満もいっぱいあったけど、なにか決定的なきっかけがないと想いを伝え合うタイミングっていうのはなかなか無くて。

少しくらい不満があっても我慢してたり、これだけは許せないって部分があっても要所要所でちゃんと伝えることができていたら尚更むずかしい。

しかも ”そういうところも全部ひっくるめてこの子だから” って思ってたから。

親友もJoy子に対して不満があったら、そのつど言ってきてくれてたから。

スポンサーリンク

親友とはいえお互いが ”この部分は我慢しよう” とか ”ここは譲ろう” とか ”ここはぜったい譲れない” とか、そんなふうにしながら関係を築いてきたわけだけどさ、

 

ほんと、ちょっとしたことがきっかけで一瞬で関係は崩れてしまうんだなと身に染みて感じている。

 

親友と縁を切って ”はぁ!スッキリ!” となるかは正直微妙だけど、後悔するかしないかは、そのときちゃんと相手に自分の想いを伝えているのか、相手の想いはちゃんと聞いたのか、それによって本当に変わってきてしまうと思う。

その点Joy子は何週間もかけて想いを伝え、そして親友の想いもちゃんと聞くことができていたからまったく後悔はしてないの。

縁を切った親友は自分と違うタイプの性格

自分でいうのもなんだけど、Joy子はクソ真面目な性格であまり融通が利かないタイプである。

嘘をつくことも苦手で、ときには嘘をついっちゃったほうがうまく収まるような場面でもバカ正直に答えてしまう。

 

なにかを盗むとか、犯罪や詐欺に手を出すとかも論外ね。

仮に10円とか100円とか少額のものでも ”モノを盗む” という行為自体がムリだし、高級腕時計の窃盗とか高齢者を騙す詐欺とか、そんなニュースが流れてくるたんびにしんどくなるくらいにはまともな価値観をしているとは思ってる。

 

こんな世の中でクソ真面目に生きるほうが酷だし、クソ真面目な人ほど生きづらさを感じちゃうけど、いくらお金がないから・お金が欲しいからといって犯罪などに手を染める気にはなれないし、なりたくない。

こんな話をすると、親友と縁を切ったきっかけは ”もしかしてお金が絡むハナシ?” と勘づいた人がいるかもしれないけど、そう、お金の切れ目が縁の切れ目ってやつで、親友と縁を切るきっかけになったいちばんの出来事は ”お金” が絡む話だった。

スポンサーリンク

Joy子と違い、親友はもともと行動力があって誰ともでも仲良くできるタイプだ。

友達も多いし、顔が広いというか、初めましての人にもグイグイいけちゃうタイプ。

その行動力を傍で見ていて ”羨ましいな~” とずっと思っていた。

だからといってJoy子も親友のように広く交友関係を持ちたいかと聞かれれば決してそうではない。そこはやっぱりもともとの性格の違いなんだろう。

明るくて行動力のある親友がJoy子みたいな陰キャと親友になってくれるなんて・・・と当時は嬉しくなったもんだよ。

クソ真面目で融通が利かなくて、何かとめんどいJoy子みたいな奴と親友になってくれたその子には今でも感謝している。

その子のおかげで共通のともだちもできたしね。

 

でもな!

 

お金の問題が絡むといくら親友でもだめなんだ。

”お金の切れ目が縁の切れ目” なんて、そんなのただの言い伝えじゃん?って思ってたのに実際あるんだな。

縁を切った親友にはもともと不満はあった

高校時代の彼女はあまり真面目なほうではなく、入学式早々、担任より遅く教室に入ってきては不貞腐れたような態度で席についた。

 

”変な子・・・”

 

これが彼女に対する第一印象。

席が近いこともあり、いつもひとりでお弁当を食べていた彼女に「いっしょに食べない?」と誘うと「あ、大丈夫(きっぱり」と断られたこともあったっけ。

 

”なんだよ・・・”

 

きっと人とあまり関わりを持ちたくない子なんだろう、そのときはそう思ってた。

最初こそ断られたけど次第に彼女は心を開いてくれて、いつからかよく喋るようになり、朝待ち合わせをしていっしょに登校したり帰りはいっしょに帰ったりと自然と多くの時間を過ごすようになっていた。

朝の待ち合わせ時間は8時10分。

8時30分には学校に着いてなきゃいけないんだけど、彼女は待ち合わせの時間にほぼ毎回遅刻をしてくる。

8時15分とか20分に来るときもあれば、Joy子が先に待ち合わせ場所に着いて待っていると「先に行っててー!」と連絡が入り別々に登校することもあったり。

「ねえ!遅いー(怒」

高校3年間のあいだでこの言葉を何度言ったか・・・。

それでも彼女の遅刻は治らず ”まぁそこも含めてこの子だから・・・” と許していた。

たまに彼女のほうが先に待ち合わせ場所にいるとこっちが申し訳ない気持ちになるくらい、そのくらい彼女の遅刻は当たり前で、Joy子以外のともだちの間でも有名だった。

みんな彼女の遅刻グセを理解していた。

 

とにかく時間にルーズ。

 

それでも彼女の性格の良さや優しい部分が上回っていたから、欠点はあれどそう完璧な人間なんていないしと、なにせ親友だしと許していた。

スポンサーリンク

高校を卒業し、その親友と、もう一人の友人と3人で旅行に行く計画をしたこともあった。

国内だけど飛行機で行く距離の場所。あたたかい県。

Joy子ともう一人の友人はもちろん待ち合わせの時間どおりに空港に着いてたんだけど、親友はそこでも遅刻。

飛行機という交通手段で、時間に厳しい状況でも彼女は平気で遅刻をする。そんな子だった。

結局どれくらい遅れてきたかは忘れちゃったけど、Joy子ともう一人の友人で「飛行機乗り遅れたらどうする!?」と切羽詰まっていたのを覚えてる。

 

まあ無事予約してた飛行機には乗れたんだけど。

 

なにごとも余裕をもって行動したいJoy子にとっては、さすがに旅行の日の遅刻はないわーと思ったりもしていた。

でも親友だし大好きな子だからと、とくに何も言わずその後も関係は続けていた。

 

Joy子と親友は好きなアーティストも似ていて、あるアーティストのライブには2人でよく行っていた。

数え切れないほど行っていたと思う。

あるときのライブで親友はいつものように「待ち合わせに遅れるー!」と言ってきた。

Joy子が当時住んでいた場所から会場までは新幹線で1時間半くらいの距離。

ちょうど待ち合わせ場所に着くころに「遅れるー!」の連絡が入った。

 

もう少し早く連絡くれていれば一本遅い新幹線でもよかったやん。朝もう少し寝れたやん。

 

そんなことを思いながら ”いつものことだ” と待ち合わせ場所に向かっていた。

ちなみにそのときの会場は親友が当時住んでいた県で開催されるもので、遅れるとは言っても同県だしそこまで遅くならないだろうと甘くみていた。

待ち合わせ場所は会場最寄りの駅。

スポンサーリンク

いざ駅に着き待ち合わせの場所まで行くと、すでに周辺はライブに参戦する人々で混雑していた。

遅刻はいつものことだから・・・とあまり深く考えず、人間ウォッチングなんかをしながらボーっと待っていた。

何十人、何百人と人混みを見ただろうか。

親友はなかなかやって来ない。

20分、30分・・・混雑した駅のなか、待てど暮らせどやって来ない。

電車が着くたび改札にはブワッと人が溢れ、その光景を何度も何度も見ていた。

 

その中から親友を探すように。

 

40分、50分経っても彼女の姿は見えない。

気付けば1時間ほどが経過していた。すでにライブの開演1時間前だった。

たしかライブの2時間前に待ち合わせをして、周辺で軽く一杯酒でもひっかけて行こうぜなんて計画を立ててたと思う。

それから10分、20分と待っているけど親友はやって来ない。

「もう少しー!」

「バス一本乗り遅れた・・・」

数十分間隔で連絡はきてるから事故などに遭ったわけではなさそうだ。

誤魔化し誤魔化し「遅れる」の連絡が来るたび、もうライブなんかどうでも良くなっちゃって、また1時間半かけて新幹線で帰っちゃおうかと思ったりもした。

時間が経つにつれ、だんだんと腹も立ってくる。

 

いま思うと、人の時間を平気で奪い、人の時間を大切にできない人だったんだね。

 

それでも「もうすぐ着くよー!」と連絡がくると「わかった」と返してしまい、そんな自分に腹が立ちながらもライブを楽しみたいという気持ちで待ち続けていた。

気付けばライブが始まる時間、イコール開演時間。

その時間になってもJoy子は駅の改札付近に立っていた。

つまりJoy子は混雑する駅のなか「もうすぐ!」「あと少し!」の言葉に惑わされ、2時間も同じ場所で待ち続けていたのだ。

もしかするといまの子たちは ”先に会場に入って席ついてればいいじゃん” と思うかもしれない。が、当時はまだ紙のチケットが主流で(なんせ何十年も前の話)このライブのときは親友がまとめてチケットを取ってくれていたのだ。

当日待ち合わせ後にそのチケットを一枚貰っていっしょに会場に入るという流れだった。

中に入ろうにもチケットが手元にないから入れなかったんだ。

結局親友が駅に着いたのは18時、ライブの開演も18時。

会場は駅の改札から少し歩いた距離にある。早く見積もっても18時10分ごろにようやく入口に辿り着ける計算だろう。

もうとっくにみんな会場入りし、席について今か今かと開演を待っていることだろう。

あれだけ混雑していた改札周辺の人混みもとっくに消えていた。

 

「ごめんね!!!」

 

息を切らしてやって来た彼女。

 

「もう(怒! 急ご!」

 

ライブが始まってしまうという焦りから、そう流してしまった。

酒を一杯ひっかけるという予定は丸潰れ。

飲んでる場合じゃねぇぇえ!とモヤモヤしながらも、持ち物検査を無事通過しそこからまた会場内をしばらく走って指定の席につく。

会場はすでに暗くなっていて、1曲目も始まってしまっていた。

 

2時間前にはちゃんと待ち合わせ場所に着いていたのにこの仕打ち・・・キツいわな。

 

こういう嫌な記憶って、何十年経っても消えないんだよね。

待ち合わせしていた駅の自分が立ってた場所とか改札の雰囲気とかさ、鮮明に覚えちゃってるんだもん。

たしか駅には大きな時計もあったな。

時計の針がどんんどん進んでいくのを見ながら ”自分ここに何しに来たんだっけ” と何度も虚しくなった。

こうして毎回毎回遅刻してくるような時間にルーズな親友を許し続けてきたJoy子にも責任があるのだろう。

こんなふうに、数年のあいだに何十回(いや何百回?)とあった親友の遅刻を ”嫌だな” と思いながらも我慢していた。

親友には実際の待ち合わせよりも早い時間を伝えてみたりとか工夫もしたけどそれでも遅刻は治らなかったから、もう一生遅刻グセを治すことはムリなんだと思う。

”もう治らないもの”
”しょうがないもの”

そう受け入れて、親友とはその後も変わらず関係を続けていた。

スポンサーリンク

縁を切った親友への違和感

行動力のある親友は、とにかくいろんなところに積極的に出向く。

だから必然的にいろんなタイプの人と出逢い、交流をもつ。

いろんな人に出逢って、いろんな考え方の人を知って、そうしていくうちに ”こんな人生を歩みたい” とだれかに憧れを抱くこともあるだろう。

それは自分の人生の糧にもなるし勉強にもなり、Joy子みたいに人付き合いを極力避けてる人間よりも多くのことを学べる機会がたくさんあると思う。

大人になるにつれ人間関係がどんどん変化していくのは当たり前だし、いいことでもある思うの。

 

ただその中には、良い人もいればとんでもない人間が混ざっていることもあり、最終的にどんな人と共に過ごすか、どんな人に憧れるかによって人生を大きく変えてしまうことだってある。

 

あるときいつもどおり遊びに出かけたとき、親友はJoy子に ”とある出資話” をしてきた。

「こういう事業が始まるんだけど、一口いくらでこれを買ってここに出資すると権利収入がもらえるの。」てきな話だった。

権利収入という一見聞こえのよさそうな言い方をしてるけど、つまりはネットワークビジネスのようなものだった。

その頃からの彼女の目つきは、親友のJoy子から見ても明らかにおかしくなっていた。

ランチを食べながらJoy子が親友に話しかけてもどこか上の空でフワ~っとしている。

そして彼女持参のペンと手帳で、なにやら一生懸命Joy子に出資話の説明をしてくる。

そのあいだも彼女のスマホには次々とLINEが入り「このあと16時から待ち合わせしてるの。」と言う。

いまJoy子に説明しているような内容を、これから他の人にもするんだろう。

Joy子と解散してから別な人と会う約束のようだった。

とにかく彼女のスマホには続々とLINEが入る。

行動力のある彼女だから、いろんなところに出向くうちに交友関係を広げ、そこで知り合った人たちに出資話を持ち掛けるのだろう。

 

この子大丈夫だろうか・・・心配になった。

 

結局その事業は、さんざん出資者からお金を集めたあとで ”オーナーが飛んだ” という ”いかにも” な形で失敗に終わっている。

スポンサーリンク

のちに縁を切る際この件も話題に上がることになるんだけど、親友と縁を切ることになった一番のきっかけはもっと酷いものだった。

親友と縁を切ることになったきっかけ

いろんな人と交流を持つうち、彼女にはいつの間にか彼氏ができていた。

出資話をされて以降、彼女に会いたいという気持ちは徐々に薄れてきていてお互いそれほど連絡もしなくなっていた。

 

このとき既にもう、高校時代のようになんでも話せる仲ではなくなっていたんだと思う。

そのため、どんな彼氏なのかも彼とはどんな出逢いだったのかも聞いていない。

ただなんとなくだけど、彼女と同じようなビジネスをしている人なのかなとは思っていた。

「近々彼氏と(Joy子のところに)遊びに行くねー!」と言われたけど、また怪しい話に勧誘されたら嫌だし、しかも彼女とその彼とで同時に2人から勧誘されたら死んでまう、そう感じ曖昧な返事をしていた。

 

そんななか世界中はコロナで大騒ぎ。

それもあってか彼女たちがJoy子のもとへ来ることは必然的になくなったわけで、少しホッとしたのを覚えてる。

こんなふうに思ってしまう時点で、もう彼女のことを親友とは思えなくなっていたんだろう。

それからしばらく連絡はなく、Joy子から連絡することもなくなった。

お互いの誕生日にはLINEだけはしてたかな。

最低限の連絡しかしていなかったころ、彼女からふと連絡がきた。

 

「Joy子ー!持続化給付金の申請ってしたー?」

 

・・・。

これが親友と縁を切るきっかけになった一番の出来事だった。

 

親友からこう連絡がくる少し前に、テレビやネットでは持続化給付金の不正受給でどこかの社員が逮捕されたというニュースが頻繁に流れ始めていた。

スポンサーリンク

ニュースで流れる不正受給の手口を見て ”よくもこんな人が居るもんだ” と白い目で見ていた。

こんな醜い手口を使ってお金を得るくらいならもっと他のことにその頭使えばいいのにね、と。

SNSにも手口の詳細が載ってたりしてて ”親しい人からの誘いでも乗ってはいけません” みたいな内容が頻繁に流れてきていたあの頃。

どの媒体でニュースを見ても、不正受給の手口として「久しぶり!そういえば持続化給付金の申請ってした?」みたいな文言から始まっていた。

 

親友からきた連絡と同じだったことに思わず笑ってしまった。

 

そもそも出資話の件がなかったら親友に不信感を抱くことはなかったのかもしれないけど、ここ数年の彼女の行動や表情を見てたら「ああ、ついにこんなことにまで手を出すようになっちゃったか・・・」と妙に納得してしまった自分がいた。

どうやら彼氏の知り合いの税理士が受給のための手続きをしてくれるらしい。

そんなん ”彼氏” にも一気に不信感抱いちゃうじゃんね、会ったこともねーのに。

ちなみにその手続きには50万の手数料がかかるらしい(笑)アホなのかな?

 

Joy子はこの手口の流れをニュースでたくさん見てたから、もちろん断る以外ないんだけど、とりあえず人を巻き込むな?という話よ。

”よかれと思って声かけたんだけど” とか ”身内しかできない話だから” なんて言われたけど、そりゃあそうでしょうそうでしょう。

そんなクソみたいな話、ふつうは身内にもできないでしょうよ。

Joy子は彼女の身内でもなんでもないんだがな。

娘がそんな活動してると知ったら親は泣くぜ?

 

Joy子がそのクソみたいな誘いを断ると彼女は「もったいないー!」と言った。

つづけて「国が国民にお金払う今回の制度は私は当然だと思ってる(笑)」とまで言った。

なんだよ「(笑)」って。

 

どうやら、国が税金を取るだけ取って国民にリターンがないことを不満に感じているらしい。

こんな社会が悪いから、と開き直っているようだった。

そもそもあれは、コロナで経営が厳しくなった飲食店や前年よりも収入が下がった人等を対象にした給付金だ。

その事実がなく国民の誰もが受けれる制度ではない。

そりゃ仮に経済的に余裕があっても貰えるもんなら貰ってしまいたいよね誰だって。

いくら真面目で真っ当な人でも、あのときの情勢や先の不安を感じていたら貰えるもんは貰っておきたいと思っちゃうじゃない。

「税金取るだけ取って」って、わかるよ、実際そうだもの。

ほんとに嫌になるもの。

そんなことはみーんな思ってんだよ。

でも、こういうところで手を出してしまうか出さないかでその人の人間性は確実に現れる。

 

そのとき彼女を ”親友” と呼んでいたことが恥ずかしいと思ってしまうくらいがっかりしたし、もしかしたら今後の付き合いを考えないといけない、そんな思いが芽生えた。

 

こういうきっかけがなかったら、もしかしたら今でも親友という関係は続いていたかもしれない。

 

たまたまこの件がきっかけになったけど、仮に今でも親友という関係が続いていたとしてもきっといつか別のことで縁を切ることにはなっていたと思う。

 

それくらい、ほんの数年で彼女とJoy子とのあいだで考え方と価値観が変わってしまったから。

”親友” に持続化給付金の話をされたときはあまりに絶望し、Joy子だけではとても抱えきれず友達に相談したこともあった。

スポンサーリンク

親友とも共通の友達で、彼女の性格もともだちは知っている。

これまでの流れを説明したうえで「Joy子が間違ってんのかな?」と相談したけど、

「Joy子・・・それは付き合い考えたほうがいいよ。」

そう言われた。

 

友達のこの言葉でJoy子は決心し、親友に本心を伝えることに決めた。

これまでも待ち合わせに毎回遅刻してきたりと彼女に不満はあった。

そんな嫌な過去も思い出したりしたけど、もはや遅刻なんてどうでもいい。遅刻なんてまだかわいいもんだと思っちゃうくらい、この一件だけはどうにも彼女を受け入れられなかった。

交友関係を広めた結果、周りの価値観に影響されて彼女自身も徐々に変わってしまい、その価値観で周りを巻き込もうとしたことがどうしても許せなかった。

 

彼女にとっては正解と思う道を進んでいるわけだし、人の人生だもん、親友とはいえ彼女の生き方を否定してはならない。

 

いつか自分を振り返ったとき、間違ってたかもと気付いてくれればそれでいい。

まずは当時の彼女をありのままに受け入れた上で今後の付き合いを考えたいという話をした。

 

彼女の考えや価値観をなるべく否定せず、今こうしてブログを書いているようなクッソ長い文章にして自分の想いをLINEに綴った。

返信がきて、それに対する返信をして、また返信がきてまた返して・・・。

LINEを見返したらそのやり取りは二週間も続いていた。

電話をしようにも行動的な彼女の空いている時間はバラバラで、やり取りはLINEでしかなかった。

感情的にならず、淡々と想いを伝え続け、そして彼女の考えもたくさん聞いた。

 

結果 ”わたしたちもう合わないね” となり、20年来の友人、それも親友と縁を切ることとなった。

 

最後に彼女は「Joy子が納得できなかったらそれでいいよ。」と言い放った。

それ以来彼女とは一切連絡を取ることはなくなり、今どこで何をしているのかもわからない。

スポンサーリンク

親友と縁を切ったその後、いま思うこと

20年ものあいだ親友として過ごしてきて、Joy子が親友に不満をもっていたのは遅刻の件くらいだった。

それ以外のことで親友に対する不満はとくになかった。

遅刻は一回だけじゃなく何度も何度もあたり前のようにされて、少しずつだけどその不満は確実に蓄積されていたとは思う。

相手を思いやる行動ができるかどうかは、友人関係を保つ上ですごく大事なことだと思うし、

 

どちらかばかりの我慢の上に成り立つ友情は我慢しているほうが結局いつか爆発して崩れてしまう。

 

きっかけはなんであれ、親友として過ごしてきた過去を振り返ったとき ”こういうところがちょっと・・・” という嫌だった部分も必ず思い出してしまう。

何度同じことをされても無理して我慢することは ”優しさ” ではなかったね。

ほんとに相手を大切に思っていたらその都度、うるさいほど伝えていればよかった、とも思う。

親友との悩みを相談した友達には「Joy子は優しいから・・・」と言われたけど、されたことにストレスを感じながら我慢しててもそれは決して優しさではなかった。

Joy子も完璧な人間なんかじゃない。

わがままで子どもっぽくて自己中で、欠点をあげたらキリがないんだけど、親友にもたくさん迷惑かけてきたからJoy子に対しても不満はいっぱいあっただろう。

 

だからどちらか片方だけが我慢していたとか、そんな話でもない。

 

お互いに不満があっても、それを上回るなにかがあったから何十年も親友でいられた。

でも、一線を越えてしまう何かがあったときは一瞬で親友という関係が終わってしまう。

 

最悪の場合、友達でもなくなってしまう。

よく、”親しき中にも礼儀あり” なんていうけど本当にそうだと思う。

少しずつ相手に対して違和感を感じるようになったら、いくら親友とはいえ離れることを考えてみてもいいと思うんだよね。

いきなり縁を切るんじゃなくても、一旦物理的な距離を置いてみるのもいいと思う。

 

縁を切るのは最終手段でいいと思うんだ。

 

親友と縁を切って一切連絡を取らなくなってからいろいろ考えたけど、またなにかのきっかけで友人には戻ることがあるかもしれない。

ご縁がある人だったら、またいつか元どおりになっているかもしれない。

今はどこかで元気に生きててくれればそれでいいけど、きっとわたしたちがまた ”親友” と呼び合う関係に戻ることはないだろう。

 

親友と縁を切ることになりそうなときや実際にそうなってしまったとき、自分にも原因がなかったかということにもちゃんと向き合うことは大切。

その上で自分が大切にしたいと思う人を大切にする、自分を大切にしてくれる人を大切にする、そのことが人生生きやすくなる選択なのかもね。

 

結局、どんな結果になったとしても自分がどんな決断をしたとしても、最後は自分が笑っていられる人といっしょに過ごすことがすごく大事。

 

このことに気付かせてくれたことへの感謝と、親友にこれまでしてもらったことにはたくさん感謝し、これからは大切にすべき人とともに人生を歩んでいきたい。

この気持ちは今後も一生持ち続けていこうと思う。

スポンサーリンク